部屋の掃除をしていたら、懐かしい友人からの手紙が出てきて、中を開いてみた。もう何年も会っていない。彼女は私が今でも絵を描いてる事を知らないのだと思う。
高校時代の同級生だった。入学当時、それほど仲が良かったわけではなかったのに、とある事をきっかけに急激に友情を深めた。
とある事とは、なんと「同人誌」だった。実際読んだ事はなくても、名前くらいは聞いた事があると思う。秋○原などに行くと山のようにその手のお店があるし、夏と冬にはユリカモメの乗車率を200%にする大きなイベントも行われている。もっとも、そちらだとどうしてもロリ好きな背徳者が集まるイメージが強いのだけれど……(私は自分の妄想範囲で楽しむのであれば、背徳とは思わないけれど)。
私が絵を描いたのは、この同人誌を作る為だった。好きな漫画家さんの絵を真似て、そのキャラクターで、自分の欲求を満たす為の物語を描く……(…うわぁ、こう書いてしまうと何だか病的だなぁ。
ともあれその当時私は、拙いながらも同人誌をつくっていて、地元で行われるイベント前には徹夜とかもしちゃっていたのだ(この当時から計画性のなさは変らず)。私の友人は(便宜上Sで)、美術部に所属していたがそっちの方はまったく知らない一般人で、もちろん私は秘密裏に同人活動していたので、二人の間の会話に、絵の事などいっさい出てこなかった。
けれどある日の事。それはもう唐突に。
「 『同人誌』 を作りたいんだけれど、協力してくれる?」と、
サラリとSに言われたのだ。私は焦った。(どこでバレた?)とか、(どうやって言い訳しよう)とかそんな事ばかりが頭を回った(だってやっぱり偏見とかあるでしょ~。変な集まり的な目で見られるし~)。
よくよく落ちついて(私がね)話を聞いてみると、当時流行っていた幽○白書にハマって、その同人誌を作りたいと思ったのだけれど、どうしたらいいかわからず途方にくれて漫研の友人に聞いたら私の名前が出たという事で……。
「そんな簡単にバラさないで私のトップシークレットっっ!!」
とか思いつつも熱意に負けて協力する事になった。そしたらその子が!!!すっごく上手いのよ。絵が。半年くらい前からこっそり描いていたそうなのだけれど、大概の人がぶつかる「体」の壁もあっさり超えて、漫画を描くのに充分文句ないレベル。今の私より100倍上手い。美術部だったし、努力もしたのだろうけれど、私はこの時初めて「才能」というものを見た気がした。
下描きが出来あがったから見に来て、と呼ばれて家に行ったら、60P近い漫画が出来あがっていて、驚きのあまり気を失いそうになった。読んでみて泣きそうになった。彼女のどこに、こんな言葉が、絵が、想いが潜んでいたのだろう。切ない話だった。とても描き始めて半年の人が描いたとは思えない。自然なコマ割り、キレイな線、起承転結のしっかりしたストーリー…。
それから、2、3ヶ月間。私と彼女VSトーン&ベタとの戦いが始まった。休みの日は彼女の家に数日間泊まる事もしばしばだった。
彼女はトーンのセンスもすごくて、ここにこんな使い方をするのかと、驚かされてばかりだった。発想から既に違う。「効果」の為に敢えて髪にベタを塗らないとか、そんな事は考えた事なかった。
「 大好きなモノだから、手を抜いてつくりたくないの。 」と彼女は言っていた。色んな資料が山積みになっていた。私はこんなに勉強して作っていただろうか。
今の私の技術はすべて、彼女から貰ったものだ。トーンの貼り方、カラーの塗り方、それから数年続いた彼女との同人活動の中で貰ったものだ。
「Tの絵は、自己主張が強くて好きだな」とある時言われた。奇妙な表現だった。
その後彼女は横浜へ行くことになり、それからは年賀状程度の付き合いしかない。漫画家を目指してデビューもしたが、何だか色々あったらしい。
彼女の最後の手紙には、「今でもあの頃を思い出すよ。Tのおかげで、私はここまで来れたんだと思う。どんな形になっても、絵は描き続けるから」と書いてあった。
仕方ないよね。好きなんだもの。私はもう色々悩むのさえやめたよ。
ちなみに彼女が初めて出した同人誌は、某雑誌に掲載された通販で、500通を超える注文が殺到した。ポストに入りきらずに郵便屋さんが両手に抱えて持ってきたシーンを、私はまだ覚えている。袋づめ作業に追われた事も、切手を舐めすぎて舌が乾いた事も覚えている。
手紙はそっと仕舞っておいた。
いつかまた開いた時、同じシーンを思い出すのだろう。懐かしい彼女の家の、
美味しかったママのご飯vvv
………こんなオチかっ。